源義経のチンギスハン家紋の調査結果!ロシアに残る笹竜胆とは何か

   


6/3(土)の世界ふしぎ発見では、日本史最大の謎という事で源義経が取り上げられるようですね。

わたくし土屋、実は歴史も大好きでございまして、特に日本史は大好きなのですが、そもそも歴史上では源氏では源頼朝がやはり有名なのですが、その異母弟が源義経です。

幼名を牛若丸と言いますが、この名前は聞いたことがある人も多いのではないでしょうか!

京都の五条大橋で源義経と弁慶が出会ったといわれており、ちょうど弁慶は太刀を1000本集めていた時に出会い、戦うわけですが、結局牛若丸からは奪い取ることができず、999本で目的は達成できなくなり、源義経の家来になったといわれていますね。

ただフィクションだともいわれており、実際はどうなのでしょうかね(笑)

ちなみに弁慶の泣き所という言葉がありますが、実際に弁慶が泣いたのではなくて、あの弁慶でも痛くてないてしまう場所ということですから、お間違え無いように!

さて、そんな源義経、歴史上ではこの程度のお話をご存知な方も多いとは思いますが、海を渡りチンギスハンになったのではないかという説、どう思われますか。

最近この話題が持ちきりになったのではなく、実は江戸時代にも林羅山などによって、徹底的に調べられています。

ということは、どの時代のだれからも愛された人な訳ですが、今日は源義経が本当にチンギスハンであったのかなど色々と調べていこうと思います。

 

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源義経がチンギスハンである証拠はあるのか?

これは色々な説もあり、証拠と結論付けられそうなものも、素人目に見てもたくさん候補があります。

その中でも新井白石が蝦夷地、いまの北海道を調べた際に、アイヌ民族より色々と情報をあつめられたようですが、頭の良いオキクルミとサマンクルに関する記述もあったようですね。

これって先述の弁慶と牛若丸のように思いませんか?

しかもその後、蝦夷地から海を渡るというのを考えると、チンギスハンになる可能性も出てきますよね。

ただ、このレベルだと、わたしも確実にチンギスハンは源義経だとはまだ言い切れませんので、もっと調べていきましょう。

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源義経 牛若丸

 

源義経の家紋は何を表しているのか?チンギスハンにつながるヒントは?

源治一門の家紋として知られる、竜胆紋(りんどうもん)この竜胆とは中国語ではリュータンと言われ、今でも鎌倉市では市章としっ使われていますし、この家紋から派生した家紋は多くあります。

笹竜胆、陰の笹竜胆、丸に笹竜胆、石川竜胆、二葉竜胆、頭合わせ三つ笹竜胆・・・と竜胆だらけです(笑)

そんな家紋からチンギスハンにつながるヒントを探ってみましたがチンギスハンも家紋を使用していたとすれば、もしかして源氏の家紋を使っている可能性もありますよね。

そこで調べたところ、ジンギスカンの紋章が非常に似ていると思いませんか。

家紋

ウラジオストクに残る資料として出ていたわけですが、これはドンドン近づいてきたようにも思いますが、歴史って面白いですよね!

 

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源義経の伝説はロシアが握っている?

わたしの結論としては、源義経はロシアに渡り、その後チンギスハンになったのではないかと思うんですよね。

ただ、いかんせんこの時代の日本国外では、文章などで記録などが本当に残っておらず、特定できる資料がないようですね。

紋章のクダリにしても、源氏と平家の時代には紋章というものが確立されていなかったとの説もあり、実録ではないようですね。

ただ、1点気になる話もあるため、以下を紹介しておきますね!

小谷部は、大正14年(1925年)2月1日付の朝日新聞で、シベリア出兵当時、ニコラエフスクの近くでタタール人の芝居を見たところ、その巻狩の場面で役者が笹竜胆(ささりんどう)の紋をつけた日本流の鎧兜であらわれたことを記している。わけを尋ねたところ、昔から伝わっているもので、誰が作ったかについてはわからないという返事だったという。この笹竜胆の紋章は、ナホトカの一般住居にもつけられており、これも義経ゆかりのものではないかと小谷部は説明している。

これ凄くないですか!!(笑)、かなり古くからでないと、このような伝説って伝わらないと思うのですが、私の予想がもしかして当たるかもしれませんね。

源義経伝説ですが、もっと気になる方は是非番組もご覧くださいね!

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